歴史

第十回関西府県連合共進会とは

 関西府県連合共進会は明治16年(西暦1883)に大阪府が主催して1府16県が参加してはじまり、3年おきに持ち回りで開催されてきたものである。第十回関西府県連合共進会は明治43年(西暦1910年)に愛知県名古屋市で開催された。会期期間は3月16日から6月13日までの90日間が設定され、鶴舞公園を会場として開催された。
 第十回共進会の開催にあわせて、名古屋開府三百年祭も行われた。共進会は全国を名古屋に集めて成功裏に終了したが、それは同時に名古屋人の目を開かせることにも貢献した。(L)
 

鶴舞公園の開園

 第十回関西府県連合共進会の会場となった鶴舞公園は1909(明治42)年11月19日に名古屋市第1号の公園として誕生した。
 1905(明治38)年に着工した精進川(現新堀川)の改修工事で出た土を、当時は御器所村の一部であった水田などの埋め立てに使用し、公園が造成された。そこを会場に愛知県が主催する共進会を誘致し、その後に公園を整備する計画であった。そして、1909(明治42)年10月に土地が名古屋市に編入され、翌月に開園したのである。
 公園には、共進会の展示館だけでなく、待賓館、噴水塔、奏楽堂なども建設された。噴水塔と奏楽堂は共進会終了後に名古屋市に寄付され、鶴舞公園の象徴的な存在となった。噴水塔と奏楽堂はいずれも名古屋高等工業学校教授の鈴木禎次が設計したものである。(S)

鶴舞公園のその後

 共進会終了後に名古屋市は鶴舞公園の本格的整備に着手し、1920(大正11)年までに和洋折衷の大公園として一応の完成をみた。
 1918(大正7)年には付属動物園が開園、1937(昭和12)年に東山動物園が開園するまで営業していた。1928(昭和3)年には、1925(大正14)年の普通選挙法施行を記念した普選壇と普通選挙法成立時の内閣総理大臣加藤高明の銅像が建設された。1928(昭和3)年には、御大典奉祝名古屋博覧会が開催された。
 1930(昭和5)年には名古屋市公会堂が開館した。1941(昭和16)年には、公会堂、運動場、吉田山が高射砲陣地として陸軍に接収された。また戦時中には園内の花壇や広場が耕作地となった。1945(昭和20)年の敗戦後には、連合国軍に公会堂が接収され、胡蝶ヶ池は埋め立てられてベビーゴルフ場となった。園が接収解除となったのは、1952(昭和27)年4月のことで、1955(昭和30)年に胡蝶ヶ池が復元された。公会堂の接収解除は1956(昭和31)年2月のことであった。(S)

参考文献

新修名古屋市史編集委員会編『新修名古屋市史 第6巻』名古屋市、2000年
財団法人名古屋市みどりの協会編『ふらら』第4号、名古屋市みどりの協会、2009年